沢村栄治は何度“沢村賞”を受賞できたのか

巨人 ソフトバンク 日ハム コラム

今季、「該当者なし」となった沢村賞を巡る議論が続いている。

完投が少ないことを理由に日本ハム・有原航平と巨人・山口俊の受賞が見送られたことに対して、選考基準の見直しを求める声が後を絶たない。

が、こうした声に対し選考委員長の堀内恒夫氏は「まず間違えてほしくないのはこの『沢村賞』は本来沢村栄治さんを称えるために作られた賞なわけだから先発完投型のNO・1ピッチャーに授与するというものであり、決してそのシーズンのベストピッチャーを選ぶ賞ではない」と前置きしたうえで、「昨年の菅野のように全項目をクリアして受賞した選手がいる。出来る選手がいる。だから出来ないはずはない」と反論した。

では、沢村栄治投手は毎年のようにこのような投球を続けてきたのだろうか。その現役時代の公式記録は下表の通りだ。

赤字は沢村賞の選考基準(25試合以上登板、10完投以上、15勝以上、勝率6割以上、投球200イニング以上、奪三振150以上、防御率2.50以下)をクリアした記録。黒字は未達成だ。全項目をクリアしたのは1937年春シーズンのみ。1936年秋、1937年秋、1941年の3シーズンは3項目をクリアしたが、現在の基準では受賞は難しいかもしれない。

もちろん、沢村氏の記録は今とは全く試合数も違う時代のものなので、比べることに意味はない。ただ、沢村氏でも生涯で一回しか達成できないような基準になったのは、後世、その時代のプロ野球に合わせてその基準が作られたからだろう。

沢村氏の“凄さ”は決して国内リーグでの完投数や投球イニングではなかったことは、同時代の投手たちの記録と比べても明らかだ。当時の「エース」たちは所属チームの約半分の試合で投げ、そのほとんどを完投するのも決して特別な事ではなかった。

沢村氏が「伝説」となったのはそんなことではなく、史上初のノーヒットノーランや米国相手の好投などがあってこそだろう。

中6日で先発し、100球で降板する時代に、毎年該当者がなしでは、沢村賞が化石化する可能性もある。それこそ沢村氏の名を埋もれさせることになるのではないか。

「戦後のプロ野球」に合わせた選考基準で選ばれる投手たちよりも、ノーヒットノーランを成し遂げたり、国際大会やMLBで実績を残す投手たちの方がより「沢村賞」の名にふさわしい…そう感じるのは筆者だけだろうか。

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