広島・赤松真人 胃がんを乗り越えた蜘蛛男【引退2019】

広島 企画・連載

プロ生活15年間で残した数字は403安打、21本塁打、136盗塁。特筆すべき数字はないかもしれないが、抜群の身体能力によるスピード、超人的な守備、パンチ力で観客を魅了する華のあるプレーヤーだった。

阪神時代の3年間は期待されつつも一軍定着には至らなかった。が、FA移籍した新井貴浩の人的補償として2008年に広島に移籍すると、1年目から125試合に出場してブレイク。2009年にはセンターの定位置を確保し、球宴にも出場を果たした。2010年の横浜・村田の本塁打性の当たりをフェンスによじ登ってキャッチしたスーパープレーは米国でも「スパイダーマン」と話題となった。

移籍当時、打撃コーチだった小早川毅彦氏は「走攻守、いずれもポテンシャルが高く、とにかく練習熱心だった」と証言する。その後も、スタメン、代走、代打、守備固めと様々な役割を果たしつつ、2016年の25年ぶりリーグ優勝に貢献した。

その年のオフに胃がんが見つかり、「最高の気分から一転、どん底に」落ち込んだ。しかし、そこで不屈の闘志を発揮する。手術後には「1日も早く復帰したい」と副作用が強いが治療期間が短い抗がん剤と点滴による治療を自ら選択した。胃がんだけに、思うように食べられない。抗がん剤治療後には体重が10キロ以上も低下。筋肉は2割まで減った。だが、リハビリで7月にはチームに再合流を果たした。以降、一軍復帰を目指して三軍から二軍、ウエスタンリーグでの実戦復帰と階段を登り続けた。

闘志の原動力は「華やかでかっこよくてキラキラしている」プロの世界への憧れ。赤松の実家には、小学生時代に「プロ入り後のサイン」を練習した勉強机が今も残っている。妻がインスタグラムで明かしている。

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今日9/6 主人の誕生日🎂 37歳です🍾 今日は主人が休みになり、せっかくなので2人でランチに。 夜は子供達と一緒にお祝いしました🥂 「おめでとう」😊 3枚目に載せた写真は夏休みに実家に帰った時に撮った主人の子供の頃の勉強机なんですが… 小学二年生の時くらいから自分のサインをいろいろ考えていたらしいです😄 夢のプロ野球選手になって、自分で考えたサインを今まで何度書いてきたんだろう☺️ サインください!と言ってくれる方がいる事。それがどれほど幸せなことか、 サインする主人の姿を見ながらいつ も思っていました😌 主人の事ををいつも応援して頂きありがとうございます😌 そして誕生日のお祝いメッセージも送っていただいた皆さんありがとうございます😊 良い誕生日になりました☺️🎂

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9月27日の引退試合まで、一軍への復帰はかなわなかったが、ファームの試合では脳腫瘍からの復帰を目指す阪神・横田を励ます姿も見られた。

引退セレモニーでは、支えてくれた家族、チームメイト、復帰を応援してくれたファン、特に同じ病気に苦しむ人々に向け「まだまだ受けた恩を返せてはいませんが、これから少しずつ返していきたい」と誓った。二軍コーチとしての再出発だが、広島には自身のように身体能力に優れた若手が多い。“赤松二世”を一軍に送り出すことが、何よりの恩返しとなる。

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