ヤクルト・館山昌平は9度の手術を受け、身体には175針の縫い跡が刻まれている。
5年連続二桁勝利、08年の最高勝率、09年の最多勝。幾多の栄光を手にした一方で、16年の選手生活は、故障との戦いの連続でもあった。
サイドハンドから150キロを超えるストレートを投げ込んだ。それを可能にしていたのは関節の可動域の広さだ。ただ、柔らかい投げ方に繋がるが、腕の振りが遅れてしまうほど。怪我の危険性も孕んでいた。3度の右肘の側副靱帯再建術(トミージョン手術)などに繋がる、諸刃の剣となった。
怪我との闘いに勝つために。トレーニングを重ね、知識も身につけた。「怪我をする以前のパフォーマンスに戻すためにはどうしたら良いかを考えるところから始まった」。2016年に受けたトレーニング雑誌「アイアンマン」のインタビューでは、怪我やトレーニングについて印象深いセリフを幾つも残している。2年のリハビリから復活した時期である。
「シーズン中はこのバッターを抑えてやる!という欲求が強くなり、ある一線を越えてしまって怪我をすることもある」「怪我を恐れずにバッターを抑えることを優先した結果、また怪我をする。ですが、安全策よりも、少しでも抑える確率が高い方法を出来るだけ選んでいきたい」。逃げることなく打者に挑み、また怪我をして。その繰り返しだった。
インタビューはこう締めくくられている。「トレーニングをすれば、筋肉は応えてくれる。自分の限界を決めたくない。2009年には、今の自分より良いパフォーマンスをしていた自分がいました。そこに追いつきたいんです。野球を続ける以上は常にベストを目指したいし、成長していきたいんです」
来季は楽天の二軍投手コーチに就任する。打者と怪我と、自分自身と。闘い抜いた経験を伝えたい。