楽天・今江引退会見【全文】「まだまだやりたい」と涙

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楽天の今江年晶が18日、仙台で引退会見を行った。

【引退会見一問一答】
まず初めに、この度台風19号の被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。そして今なお不自由な生活をされている方々に一日も早く普段の生活に戻っていただけるようお祈り申し上げます。

そして、本日はお忙しい中お集まりいただいてありがとうございます。私、今江年晶は18年間の現役生活にピリオドを打ち、引退することをここで発表します。これまで応援してくださった、お世話になったみなさん、そしてたくさん応援してくれたファンのみなさんには、本当に言葉で言い表せないくらいくらい感謝しております。本当にありがとうございました。

――今の気持ちを
まだ自分がユニホームを脱ぐっていう実感は全然湧いていないというか、そういう状態でもありますし。ただ、本当に、今まで突っ走ってきた自分がいたので、何となく肩の荷が下りたのかなっていう、まあそういう感覚でもあるんですけどまだまだ実感がわかなくて、これから少しずつわいてくるんじゃないかなって感じです。

――現役引退を決意した決め手は
今年のキャンプの本当に出発する前日に、目の不調を訴えて病院に行って、ま、目の病気にかかってしまい、なんとか今年にかける気持ちっていうのはあったんですけど、そこで、出だしでもうそう言う形なってしまい、一日でも早く復帰しようと思ってやってたんですけど、なかなかそうすぐに治るような病気でもなく、少しずつリハビリをして、やってきて、5月ぐらいにはにやっと一軍に呼んでもらえるようになって、一軍でプレーしていたんですけど、やっぱり目の状況にも良い時と悪い時の波があってですね、その中でも何とか今までやってきた経験を活かしながら、なんとかやってきたんですけど、6月の末ぐらいにですね、やっぱりちょっと目の方がおかしくなって、それでも無理やりやってたんですけど、7月の頭に「ちょっとこれはいくら何でもできないな」ということで、監督に「ちょっともう無理です。プレーするのは厳しいです」ということを話しまして、二軍に落ちてまたリハビリ生活をすることになって、そこから何とかまた一日でも早くと思ってやってたんですけど、復帰した時にはもうシーズン中盤なんで、チームも佳境に入ってきた時にですね、僕もちょうど復帰してなんとか戦力になりたいと思ってやっていたんですけど、なかなか一軍にも呼んでもらえず…。何となく自分でも「そういう立ち位置なのかな」と、そこで芽生えたというか、感じてて、その時に球団から「来季は選手じゃなくコーチとしてやってくれ」という風に言われまして、まあそこでちょっと…もちろんすぐには決めれなかったですし、目の状態もありましたけど身体は元気だったので、まだまだやりたいという気持ちが僕自身も強かったし、やっぱり家族も今までこれだけ支えてくれて、家族もなんか不十分な感じじゃないかなというのも感じたので、何とか現役をやりたいなという気持ちもあったんですけども、その気持ちはあったんですけども「目」っていうこの、前が見えない病気にかかってしまって、これからまた来年プレーして、目がどうなるか分からない、これからもっとひどくなると普通の私生活にも影響するかもわからないっていう風な状況にもあったので、本当に自分でもどうしようかなと思い、本当に球団からもありがたいことに考える時間をいただけるってことなので、家族とまず話しましたし、知人であったり、先輩であったり、いろんな方に相談させていただきました。で、自分の中で、いろんな方と話し、家族とも話し、やっぱりこの目の病気というのはなかなか自分でも、一年間こうやってやってきて、来年一年間また違うチームでやるっていうのは不安なこともありますし、やっぱり年齢のこともありますし、そういう意味で自分で、いろいろ考えて、引退しようと思いました。

――決断してまず誰に報告を
まず家族に報告しました。あとは、ここまでやれる身体に育ててくれた家族、家族というか母親ですね、父親。母親は他界していないので、自分の中で報告しました。

――何かかけられた言葉は
家族もいろんな思いを持ちながら、多分もっと言いたいことはあったんだろうなと思うんですけど、「本当にお疲れさま」って言ってくれました。

――改めで18年間の生活を振り返って印象に残っている場面は
18年間もプロ野球の生活をさせてもらって、一つに絞るのは難しくていろんな思い出があるんですけど、2005年にレギュラーをちょうど掴むっていう時にボビー・バレンタイン率いるロッテでプレーさせてもらって、やってて楽しかったですし、プレーオフも制して日本一になって、たまたまMVPいただいて、本当にそこは僕の中でも大きな思い出ですし、日本シリーズの前に息子が生まれて、そこでMVP取れたっていうのも感慨深いものがあります。

――ロッテ時代は日本シリーズで二度のMVP。ロッテ時代を振り返ると
僕にとってロッテという球団は本当に僕を育ててくれた球団でもありますし、ロッテがなかったら今の自分もないと思っていますし、今も千葉から応援してくれる方もたくさんおられますし、本当に感謝…自分の故郷と言ってもいいんじゃないかというチームです

――2006年にはWBC
あの大きな舞台でたくさん、本当に素晴らしい選手中でやれたというのは、自分の野球人生の中でも財産でありますし、思い出深いものがあります。その中で、僕もたまたま試合に出させてもらって韓国戦でエラーをして負けてしまい、「日本に帰れないかもしれないわ」と嫁さんに電話したのをものすごく思い出に残ってて。今となってはそれもいい思い出かなと思いますし、あとは小さいころからの憧れであったイチローさんと一緒にプレーできて、本当によくしていただいて、キャンプ地の自宅に連れてっていただいたりだとか、今もメールさせていただいたりだとか、WBCが無かったら絶対にそういうことがないので、WBCっていうものに本当に感謝しています。

――2016年から楽天に。イーグルスでの生活は
イーグルスに移籍をするっていうのも、僕も震災以降ですね、ロッテ時代から福島の方に行かせてもらい、いろんな感情をもって毎年行ってましたし、その中でFAでやった時に楽天さんに声をかけていただいてですね、これもなんかの使命なのかなと思い、東北のみなさんと日本一になりたいと思って移籍してきたんですけど、なかなか、怪我もあり、自分の力を全然出せずに、チームに貢献できず申し訳ないという気持ちでいっぱいです。ただ、こうして移籍してきてファンの皆様、そして球団の皆様もそうですし、チームメイトもそうですし…本当に温かく迎えていただいて、この4年間、移籍してきて4年間というのは野球人としてもそうですし、人間的にもすごくいい経験ができ、すごく楽しかった4年間です

――ファンへのメッセージを
今僕がここにこうやってみなさんに報告できるような選手になれたのも、たくさんの応援してくださる方たちの支えがあって今江年晶というものがあると思っているので、今ここで話すことができないぐらい、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

――「プロで一緒にプレーしたい」と言っていた息子さんにはどう伝えた
息子も小さいころから野球をやってて、一緒にプロの舞台でやれたらいいなと、息子もそう言って頑張っていて、僕も頑張ってたんですけど、こういう結果になって、息子に報告するのがすごくしづらいというかですね…嫁さんには自分で何となくすっきりした時に伝えてたんですけど、息子は本当に今まで、僕も、もちろんロッテの時もそうでしたけど…プロ野球の選手って父親として普通の子供に対して休みの日に遊びに連れて行ったりだとか、野球について行ってやるっていうことができないので、本当につらい思いをさせてしまってたので…息子も、それでも文句を言わず、ずっと僕のことを応援してくれてましたし、仙台に移籍してなかなか会えないのに、本当に嫁さんと二人でね、本当にいい子に育ってくれた。息子と二人で頑張ろうって言ってきたんですけど、僕がこういう風になって引退するって言ったときに、まあ、もう年ごろなんで、中二で。「ああ、分かった」って僕の前では言ってくれたんですけど。次は「もうお父さんの夢は一つ終わったから、お前がまた一つ夢を見るか、頑張れ」とは言いましたけど、息子は息子で野球だけじゃなくいろんなことで頑張って欲しいなと思ってます。

――東北への思い
震災以降、毎年福島に、いわき市に行かせてもらって、震災があって僕も野球選手として、いろんな縁でいわき市に行かせてもらって、何かみなさんに元気出してもらったりとか、なんか励みになってもらったらなと、そんな気持ちで毎年行くんですけど、いつも子供たちもそうですし、グラウンドで元気な姿で僕に触れあってくれて、震災でいろんなものがある中でそれを出さずに楽しく僕に「頑張ってねー」と言ってくれたりして、励ましてもらってましたし、毎年いわきの少年野球チームの子が、僕が招待するわけでもなく自分たちで応援しに来てくれたりして、本当にもっと頑張らないといけないなと思いましたし、僕はいわきに行かせていただきましたけど東北の人たちはたくさん被害を受けてましたんで、みなさんに僕も4年間で何とか少しでもという思いでやっていて、皆さんどう思われているか分からないですけど、僕は少しでもと思ってやっていたんで、みなさんが何か、楽しんでもらえたりだとか、そう思ってもらえばよかったなと思います」

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